100周年メッセージ

  • 三木理事長

    三木理事長からのメッセージ

    日本生命済生会は、今からちょうど100年前の1924年、生命保険事業の精神である「共存共栄・相互扶助」を実践する場として日本生命によって創立されました。会の基本理念を「済生利民」と定め、健康相談事業、災害救護、巡回診療など当時としては画期的な社会貢献活動に取り組みました。これを構想したのは、初代常務理事の小河滋次郎(おがわしげじろう)博士です。博士は内務省に入省、監獄法制定に尽力した後、大阪府知事に協力し、現在の民生委員制度のもととなる制度を創設、日本生命が当会の創立に当たって招聘しました。博士は事業の道筋をつけた直後62才で急逝、在任はわずか1年でしたが、以来100年、博士の精神は、その後の日生病院開院に繋がり、医療を通じた地域への貢献を志す職員たちに受け継がれてきました。

    100年という長きに亘り歴史を刻めたのも、ひとえに地域・社会の皆様と多くの医療機関のご指導とご支援があったからこそと、心より感謝申し上げます。時代とともに、求められる医療やサービスも変化してまいりますが、「済生利民」の変わらぬ理念のもと、新たな世紀に向け着実に歩みを進めてまいりたく存じますので、引き続きのご指導を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

  • 笠山名誉院長

    笠山名誉院長からのメッセージ

    日生病院は、日本生命済生会が創立された7年後の1931年に大阪市西区に開院しました。翌年に竣工した新病院は白亜の殿堂とも呼ばれ、1945年の大阪大空襲では職員の懸命の防火活動により被害を最小限にくい止め、周囲が焼け野原と化した中で曲がりなりにも無事な姿を見せ、周辺の被災者の救護治療に全力を挙げたそうです。1982年に2代目となる病院を開院した後も医療の進歩とともに歩を進め、2018年に現在の病院を新設することができました。開院時は3診療科、30名の職員でスタートした病院も、おかげさまで、今では29の診療科と9つの診療センター、700名を超える常勤職員を擁する総合病院に発展することができました。

    日本生命済生会100年の歴史には、『済生利民』の精神に根ざした病院の親しみ深く温かい体質と来院される患者さんやご家族との心のこもった交流が感じられます。このような伝統の襷(たすき)はこれから先もずっとつないでいきたいと思います。

  • 立花院長

    立花院長からのメッセージ

    この100年、医療技術はめざましく進歩しました。その基盤となったのは、サイエンスとしての医学です。研究や試験などのアプローチが、病気のメカニズムを解明し科学的根拠にもとづく治療でヒトの寿命を伸ばしてきました。医学に引っぱられ医療は高度に情報化し、IT化・DX化へと突き進んでいます。しかし元来、医療の役割はただ生存を延長することではなく、病気の苦しみを除くことにありました。そのためには、電子機器や情報にアクセスすることではなく、患者さんのからだと心へのタッチが大切であったはずです。

    黒澤 明監督に「生きる」という映画があります。末期の胃がんと診断され余命を悟った主人公は、葛藤に苦しんだ末、初めて自身と社会にとって意味のある生き方を選びます。日本生命済生会は、これからの100年も「生命や生活を助け、役に立つ」ことによって、人々が「生きる」ことを手助けし続けてゆきたいと思います。

100年の歩み

  • 1924
    〜1930

    日本生命済生会の創立と
    創設期の三つの事業展開

  • 1931
    〜1955

    日生病院の開院、
    戦後復興

  • 1956
    〜1976

    新たな事業展開

  • 1977
    〜2011

    病院の移転と医療行政に適合した
    機能高度化への取組み

  • 2012
    〜2019

    公益法人への移行、
    新病院移転開設

  • 2020
    〜2024

    新型コロナウィルス
    パンデミック対応、
    そして次の世紀へ

2024年7月の創立100周年を迎えるにあたり、
当会では、職員からの応募・投票により
『100周年記念ロゴマーク』と、
キャッチコピー『これまでも これからも』を定めました。
これまで皆様からいただいた信頼への感謝を胸に、
これからも地域・社会への貢献に努めてまいります。